2011年01月22日

青年海外協力隊事業の事業仕分けに関して そのA

一言だけ追加。

まず事業仕分け結果の1つにこういうコメントがあります。

● 青年海外協力隊の制度は抜本的に見直し。プロジェクトに対して、専門性のある人を派遣する。派遣数を減らし、個々の方のコストを引き上げ、質的向上を図る(量より質を重視)。

僕も前の記事で、「質より量の方向性で進んでほしい」と書きました。ただ、上のコメントには反対です。特に「専門性のある人を派遣する」というところに。

何も、専門性のある人の派遣に反対という意味ではありません。これはもちろん大切。でも、専門性のない人も派遣されたっていいじゃないですか。村落開発普及員とか青少年活動とか。だって、協力隊は専門家じゃなくてボランティアなんですから。

相手国の配属先だって、その辺は分かっています。僕の活動の後半の配属先であるCEAC(コミュニティ教育開発センター)の代表の女性(僕のブログでも度々登場したマダムタタさん)は、技術も知識も僕らボランティアよりはるかに上でしたし、彼女も、協力隊が彼女レベルの専門家だなんて思っていませんでした。ちゃんと専門性のないボランティアだと認識していました。でも協力隊を彼女は求めていました。それはただ単に人手という意味ではなくて、外国人のボランティアの立場でしかできない仕事もあるし、村人と一緒に活動して村人を活性化することに対して、何か特別な技術はないからです。それって、人間性とか人間力みたいなものだと思います。

現地の文化や常識を受け入れ、その中に入って試行錯誤して、相手の自助努力を促すために活動するっていうのは、技術のあるなしに関わらず協力隊の全職種に共通だと思います。協力隊のレベルでは専門性の有無はとっかかりにすぎなくて、2年間でどんな活動をしていけるかっていうのはその人自身によると思います。異文化の中で裸の自分が試され、色んな困難に直面し、最初はうまくいかなくてもその中で成長していく、これが協力隊の醍醐味じゃないでしょうか。

訓練所で言われました。協力隊は国際協力の一環だけど、大きな目で見ると国際社会の中で日本が成長していくことも国際協力にとって大切であり、だから協力隊というのは海外で協力することだけでなく、そこで1人1人が成長して日本に帰ってきて、帰国後は日本の発展に寄与してほしいと。

そうなんです。協力隊って人を育てるという意味合いも含まれているのです。専門的な技術を伝えるだけじゃないんです。それは、専門家のお仕事。協力隊の派遣には色んな意味合いがあるのです。

だから、専門性のある人だけに限る必要はないと思うし、相手国が求めれば、村落開発普及員だって青少年活動だって、どんどん派遣してほしいと思います。
posted by まっつん at 12:33| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

青年海外協力隊事業の事業仕分けに関して

実は最近、メールとハガキにて、JOCA(青年海外協力協会)より「アンケートのお願い」の案内が来ました。ご存じの通り、JICAの青年海外協力隊事業に関して事業仕分けにおいて議論が交わされ、「抜本的な見直しが行われるべき」という結論になりました。昨年11月のことです。そのことに関して、「帰国隊員の意見を確認したい」というのがアンケートの目的のようで、全帰国隊員に送られたようです。

ということで、このアンケートを機に、自分なりに今回の事業仕分けと協力隊事業について考えてみました。

僕は、協力隊事業自体は本当に素晴らしいと思います。このブログでもいっぱい書きましたが、本当にいい経験をさせてもらったし、感謝しています。そしてできるだけ多くの人に協力隊としての経験をしてもらいたいと心から思っています。一OBとして、この事業が発展していってほしいと思うのは当然です。でも、完全無欠なわけではなく、指摘されているような問題があることも事実でしょう。

僕が気になるのは2点。協力隊員(案件)の数(現地ニーズとのミスマッチの問題を含む)。もう1つは色んなところでの予算の問題。

まず、むやみに協力隊員の数を増やすのではなく、できるだけミスマッチの案件を減らして、量より質の方向性で進んでほしいです。現地のニーズをちゃんと調べて、本当に現地にとって必要な案件のみにして、そこに隊員を送るようにしてほしいです。こう書くのは、まず数が決められて、そしてその目標数に向かって案件を探すというような感じが見受けられるように思うからです。隊員数を確保するために無理矢理取り付けたような案件もなきにしもあらずではないのでしょうか。こういうのは絶対になくしてほしいです。
もともと、協力隊の数は昔はもうちょい少なくて、1年間に2000人とかになったのは最近の話。青年の数も少子化で減ってきていて、応募者数も減ってきています。もちろん、OBとしてできるだけ多くの人に行ってほしいと思うし、だから広報とかも必要でしょうし、このブログもその一助になれば幸いです。でも数が一番だとは思いません。質の部分にももっと力を入れてほしいと思います。

そしてその他予算の問題。書き出すとキリがありませんが、1つ例を出すと、僕が帰ってくる時の航空券は正規運賃だった気がします。オフィシャルパスポートだったので、色んな制約があるのかよく知りませんが、単純にこれを正規割引運賃にするだけで、だいぶ節約できると思います。まあ大昔はビジネスクラスだったらしく、色んなところで昔からの制度とかもあると思うので、いきなりは全部変えるのは難しいでしょう。でもコスト意識を持って、節約できる部分は少しずつ節約できればいいと思います。
ただ、1人1人の隊員の活動の質が落ちることには絶対に反対です。だから隊員の活動に影響しない部分で節約できればと思います。

でも、今回の仕分けによって、単に規模を縮小して、小さい事業になってしまうだけでは残念です。この逆境を生かすというか、この仕分けの結果をいい機会と捉えて、中身を色々と見直して、より良い協力隊事業に発展していってくれることを、一OBとして願っています。
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2011年01月15日

Bonne Année & Happy New Year

J’étais volontaire de coopération japonaise comme animateur de développement communautaire. Je suis parti au Cameroun en juin 2008.
Qu’est-ce que vous imaginez quand vous entendez le Cameroun? J’ai pensé que le Cameroun était très chaud et sec. Mais il y a beaucoup de forêt et pluie au Cameroun. Son climat est agréable. Et puis les camerounais sont très accueillants.
J’ai travaillé avec CEAC (Centre d’Education et d’Actions Communautaires) au village Ngoksa. J’ai essayé de vulgariser la fabrication de savon pour économiser l’argent et améliorer la sistuation de la vie. Après 2 ans, mon contrat a été fini. Je suis rentré au Japon.
Mon 2 ans était magnifique. Bien sûr, au début, c’était très difficile. La différence de sens commun et échelle des valeurs était la plus difficile pour moi. Mais petit à petit, je me l'habituais. À la fin de séjour, je devenais comme camerounais. J’adore le Cameroun.
Maintenant je travaille dans un bureau qui s’occupe d’un affaire d’APD (Aide Publique au Développement). Mon rêve, c’est de revenir au Cameroun comme consultant en développement communautaire.
En ce blog, je vais ecrire sur coopération internationale.


I was Japan Overseas Cooperation Volunteer as a Community Development Officer. I left Japan for Cameroon in June 2008.
What do you imagine when you hear Cameroon? I thought Cameroon was dry and hot. But there are a lot of forest and rain in Cameroon. The climate is agreeable. And Cameroonians are very hospitable.
I worked with CEAC (Centre d’Education et d’Actions Communautaires) in the village of Ngoksa. I tried to diffuse making soap for economise money and improve the situation of life. After 2 years, my contract is finished then I came back to Japan.
My 2 years were wonderful. Off course, in the beginning, it was very difficult. The difference of common sense and sense of value was the most difficult for me. But I gradually got used to it. At last I became like a Cameroonian. I love Cameroon.
Now I work in a corporation which deal with ODA (Official Development Assistance). It’s my dream to come back to Cameroon as a community development consultant.
In this blog, I will write about international cooperation.


新年ということで、ちょっと気合いを入れてフランス語と英語で書いてみました。文法チェックをしてないので、間違っていたらごめんなさい。
上にも書いたけど、いつか開発コンサルタントとしてカメルーンに戻ることが将来の夢です。
このブログもぼちぼちと続けていきます。今年もよろしくお願いします。
posted by まっつん at 21:01| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

2011年の目標

2011年になりました。
このブログも、ボチボチと更新していこうと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。


今年はどんな1年になるでしょうか。いや、していけるでしょうか。


まずは仕事面。
今の僕の役割は海外で業務をこなすコンサルタントの方たちの支援業務やロジ業務、経理など。まずはしっかりと仕事を覚えてちゃんとこなせるように。そして、業務をこなしながらプロポーザルの書き方などを勉強して、将来に生かせるようにしたいと思います。さらに、いつ海外出張のチャンスが巡って来てもいいように、フランス語をもっと高いレベルにしときます。最低でも今年中に仏検準1級は取れるように。がんばります。


自分の成長という意味で、次は読書。
通勤途中によくポッドキャストを聞くのですが、最近よく聞いている中の1つに「新刊JP」というのがあります。ビジネス書を中心に小説からエッセイまで幅広く本を紹介してくれるので、これを聞いて、面白そうな本があれば図書館で借りて読む、というのを昨年の暮れから始めています。
実は大阪市の図書館のシステムがなかなか便利なことに最近気付きました。ネットで予約すれば、なんと自分の住んでいる区の図書館まで配達してくれるのです。各区の図書館は規模も小さいですが、大阪市立中央図書館は171万冊の所蔵があり、ここの本も予約できて配達してくれるので、読みたい本はほぼ読めるわけです。
今まであまり読書はしていなかったのですが、今年は1週間1冊を目標に読んでいきたいと思います。


その次は趣味。
マラソンは今年こそ自己ベスト。3時間一ケタ台を出せるように。昨年の暮れから出勤前に走るようにしたので、これを続けていきます! あと、大阪・神戸・京都でマラソン大会が開かれるので、抽選になるだろうけどどれか1つは走りたいですね。
カメルーンで始めたクラシックギターもボチボチやっていきます。もうちょっとうまくなりたいです。


そして最後は婚活(笑)。
昨年は就活、今年は婚活ってかね?
まあボチボチがんばりますわ。


ということで2011年、今年も色々と楽しみです。
楽しくがんばります!
posted by まっつん at 22:37| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月31日

2010年の振り返り

僕にとっての2010年は、「カメルーンからの2年ぶりの帰国」→「就職して社会復帰」など、まさに「激動」という言葉がしっくりくる1年だったと思います。

そして大きな転機の年だったとも思います。
国際協力の仕事って、実は学生時代からずっと興味がありました。大学院に進学したのもそういう仕事をしたかったからだし、協力隊も学生時代から「いつか行きたいな」と考えていました。
その協力隊に参加して2年間を終えたこと、さらにずっと就きたいと思い悩んで模索していた国際協力業界の仕事に就けたということで、2010年は学生時代からの目標を達成した年であり、そしてやっと新たなスタートラインに立てた年でもありました。


さて、ということで、今年1年がどんな年だったか、1月ごとに振り返ってみたいと思います。


<1月 活動が徐々に進展>
任地・配属先変更して4ヵ月目。石鹸作りやジャム作りの講習会活動がようやく始まり出したのがこの1月でした。

<2月 体力の底(寄生虫も)>
しかし、体力は遂にそこをついたようで、いきなりの発熱を繰り返したのが2月。寄生虫も発見されました。

<3月 活動も充実、カメルーンを愛せるようになってきた>
今まで、「何でやねん!」とカメルーンの常識や価値観に腹を立てることが多かったのが、全てを愛おしく思えて愛せるようになったのがちょうどこの頃。特に何かきっかけがあったわけではありませんが、身も心もカメルーン人になったような気持ちになりました。

<4月 残り3ヵ月、ラストスパート開始>
残り3ヵ月を切ったこの時期、講習会活動が乗ってきました。

<5月 大詰めの活動、そして同期と北西部旅行>
講習会活動は尻上がりに忙しくなりました。数えると、29回やって計324人に伝えることができました。そして、同期の隊員仲間とカメルーンの北西部を旅行。イスラム王国を訪れ、きれいな景色を見て、楽しい最後の旅行でした。

<6月 激動(村での村落開発イベント〜任地引き上げ〜日本へ帰国)>
まず僕の活動の締めくくりとして、村で村落開発の啓発セミナーを開催。100人以上が集まってくれて、JICAのことを知ってもらえたし、村落開発とは何たるかを考えるきっかけになったと思います。そして村から首都に引き上げて、2年間過ごしたカメルーンともお別れ。日本に帰国しました。まさに激動の6月でした。

<7月 逆カルチャーショック、おばあちゃんとの別れ>
日本はさすがに母国だけあって、久々の日本に大ショックを受けることはありませんでしたが、それでもところどころに「なんだこりゃ?」「なんだありゃ?」と違和感を感じる7月でした。そしてすごく個人的な話ですが祖母がなくなりました。実はカメルーンに行く前から病気がちだったのですが、帰国してから亡くなる前に1度会うことができました。おばあちゃん、どうもありがとう。

<8月 お遍路>
8月はお遍路に行きました。2007年に23番まで打っていて、今回はその続きからスタート。約2週間歩いて37番まで打ちました。

<9月 就活開始、タタさん来日>
就活を本格的に開始しました。しかし全然うまくいかず。書類選考すらも通りません。某転職支援サービスに相談に行くも、「あなたの経歴では紹介できる仕事はありません」と言われ自信喪失。協力隊でいくら活動をしても、結局は井の中の蛙。日本社会に戻ると自分はちっぽけな存在で、居場所さえもない。そしてカメルーンでの出来事が日本社会と相容れなさ過ぎて、カメルーンでの2年間は夢か幻だったんじゃないか、そんな風に感じていました。でも9月後半に配属先の上司で大変お世話になったタタさんがJICAの研修のためカメルーンより来日。東京に会いに行ってお話しました。そして感じました。カメルーンは井なんかじゃないし、夢の世界でもありません。だってカメルーンで村落開発に打ち込むタタさんが今目の前にいるのですから。僕の中で別世界のように感じていたカメルーンでの出来事を今の日本社会の生活と結びつけることができて、自分に自信を取り戻しました。

<10月 今後を模索する日々>
なかなか書類選考が通らず悩む日々でしたが、とりあえず前向きに就活。

<11月 就職決定、新たな挑戦>
そしてついに就職が決定。国際協力業界。開発コンサルティング企業。すごく嬉しかったです。しかし覚えることがいっぱいで大変です。でも、とてもいい雰囲気の会社で、それが救いです。

<12月 入院、初全身麻酔で手術>
実は11月に病気が発覚していまして、12月に入院しました。しかも初全身麻酔による初手術。初物尽くしです。全身麻酔というのはかなり貴重な経験でしたが、向こうの世界に行くことなく無事に帰ってきました。そして仕事にも徐々にですが慣れてきました。



こんな2010年でした。

まあ色々とありましたが、就職が決まって新たなスタート地点に立てたことが一番かもしれません。来年からが本当に楽しみです。また元旦の計でも立ててみたいと思います。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

フランス語検定2級、一次試験突破!!

一次試験の結果が届きました。

79/100点。

採点基準の分からなかった書き取り問題で結構点数をのばしていたようで、予想以上の高得点でした。かなり満足な結果です。

二次試験は1月23日。面接は5分間だそうです。カメルーンなまりのフランス語をぶちかましてやりますよ!



さて、この結果通知で面白かったのが、二次試験の集合時刻。

「10時58分」

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58分って(笑)!!


さすが日本。カメルーンじゃ考えられません。カメルーンでは「10時」と約束すると、だいたい「10時〜12時」くらいのことを指しますからね。58分と指定するなんてすごいわ! 日本ならではですね。
posted by まっつん at 00:36| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

手術を受けて考えたこと

「顎骨のう胞」という病気になりました。

カメルーンで歯のかぶせ物が取れたので、帰国後、歯科医院で治療していました。全て終了後、「あと、気になるところありますか?」と聞かれたので、「左下の奥に微妙な違和感があるんですが…」ということで見てもらったけど、歯も歯茎も異常なし。で、念のためレントゲンを撮ってみると、「歯茎の骨の部分が薄く白く写るはずだけど、黒く写っている。もしかしたらここに異常があるかもしれない」とのことで、近くの病院の歯科口腔外科を紹介されました。

そこでCTスキャンとかして今回の病気が判明しました。

歯茎の中に埋まっている親知らずが、何らかの影響でのう胞と呼ばれる液状の組織を肥大させて、それが歯茎内の骨や顎の骨を溶かすという病気です。僕の場合も若干溶けていたみたいですが、まだまだ小さい段階だとのことでした。

聞き慣れない病名で、怖そうな名前ですが、原因となっている親知らずと肥大化したのう胞を手術で摘出すれば大丈夫。その後の再発もありません。

でも、少し大がかりな手術となるため、全身麻酔での手術でした。

全身麻酔ってなかなか大変なんですね。まれに麻酔で死ぬこともあるので、前日から入念に準備をして手術に臨みました。

そして、点滴で全身麻酔を行うのですが、「あ〜、変なしびれる成分が体中に回り出した〜」と思った3秒後ぐらいに落ちました。で、目を覚ましたら「手術終わりましたよ〜」の声。

手術はおかげさまで成功でした。のう胞が神経を圧迫しているから神経を傷つける恐れがあるとか言われていたのですが、口の中の痺れもなく、神経も生きています。奥歯も抜かれずに残してくれて、本当に良かったです。



さて、今回の病気になって、カメルーンなど途上国のことを思いました。
向かいの家に住んでいた女の子は、赤ちゃんの時に髄膜炎になって耳が聞こえていませんでした。日本で適切な処置を受けていたら、もっと症状は軽かったでしょう。

そして、もし僕がカメルーンの村に生まれていたら…。病気になっても大きな病院で診察を受けられなかったら…。

実は僕、高校の時に自然気胸という肺の病気になったのですが、まずこの時に肺を1つ失っていたのではないかと思います。そして今回の病気。カメルーンでは歯科がまずほとんどなく、しかも治療費はものすごく高い。今回の病気は自覚症状もほとんどないので、受診しない間に病気が進行して、おかしいと思った頃には顎の骨が溶け切って、多くの歯を失っていたことでしょう。ほんと、もし僕がカメルーンの村に生まれていたら、まともに生きていくことは難しかったと思います。

日本とカメルーン、先進国と途上国の格差はとても大きいです。医療だけではなく、色んな分野で。今、幸運にも国際協力関係の仕事に就かせてもらっています。まだまだ下積みで、自分の力で何かできることはないですが、少しでもその格差を縮められるように、もっともっと勉強して、経験を積んでいきたいと思います。
posted by まっつん at 23:22| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月21日

フランス語力と国際協力の仕事

今日はフランス語検定の試験日でした。

カメルーンで日常的に使っていたフランス語。
せっかくある程度は使えるようになったので、資格を取っておこうと思ったのでした。
そして、国際協力の仕事でも役に立ちますしね。

一次試験は筆記。
試験後に配られていた解答例で採点したところ、70/100点ほどでした。合格ラインすれすれの微妙なライン。。。まあ、あとは神に祈るのみですね。

そしてもし一次に合格したら来年に二次試験(口頭試験)を受けて、それにパスすれば、晴れて2級がもらえるわけです。



さて、上に「国際協力の仕事でも役に立つ」と書きましたが、国際協力の仕事とフランス語力の関係を少し調べてみました。
つまり、「どれくらいのフランス語力があれば、どんな仕事に応募できるか」ということです。下にざっと書いてみます。


<フランス語検定2級>
・JICAジュニア専門員

<フランス語検定準1級>
・JICA企画調査員(旧・ボランティア調整員)
・JICA企画調査員(企画)
・JICA在外健康管理員

<フランス語検定1級レベル以上>
・国連職員
(正確にはTEFという資格が必要。)



こうして見ると、日本から海外に派遣される仕事であれば、フランス語検定準1級レベルは最低でもほしいところですね。さらに、国連職員などとなると、日本のフランス語検定のレベルではなく、さらに高度な試験に挑戦しないといけないみたいです。まだまだ、上には上がいますね。


さて僕はどこを目指すかな。とりあえずは来年のフランス語検定で準1級は取りたい。このレベルには早く達したいですね。開発コンサルタントとしてはまだまだ足りないと思うけど、準1級は国際協力の仕事をする上での最低ラインだと思うし。

しかし、カメルーンから帰国して5ヵ月。実は僕のフランス語力がどんどん落ちているのが分かるんです。相当忘れてきています。このままではヤバいですね。語学学校にでも通おうかな。本格的にフランス語に取り組もうと思います。
posted by まっつん at 23:54| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

働く理由






「何のために働くのか?」
「自分は何のために生きるのか?」
「どんな生き方をしたいのか?」
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就職活動を始める前にまず考えたことでした。

仕事は人生の中でも大きなウェートを占めます。ほぼ毎日、1日に何時間もかけて真剣に取り組むものだからです。そんな人生にとって重要な仕事を決めるためにまず、自分の価値観を深く掘り下げて考えてみました。

さて、人は何のために働くのでしょうか?

以下、「続・働く理由」のはじめにから少し抜粋します。

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「何のために働くのか?」−こう聞かれたとき、「食べるために働く」あるいは「欲しいものを買うために働く」と何の迷いもなく言えた時代があった。
しかし今の日本において、これらの答えは十分な説得力を持たない。というのも、私たちはよほどのことがない限り、食事や服や住まいに困るほど貧窮することはないし、欲しいものだって、自分の生活レベルに合ったものを手に入れながら、たまに少し背伸びをして贅沢するくらいのことはできるからだ。そこで私たちは再び問われる−「じゃあ、私たちは何のために働くのか?」と。
-------

就職活動って、単なる仕事探しではないですよね。だって、自分のことを知らずに、自分に合う仕事を見つけられるわけないですもんね。就職活動は自分探しでもあるわけです。

この2冊の本は、自分の価値観を深く掘り下げて考えるきっかけを与えてくれて、就職活動を後押ししてくれました。副題に99の名言・至言とありますが、それらの紹介と共に、それらを介して著者の考える仕事論・人生論も書かれています。前に進む力をもらえた気がします。
posted by まっつん at 22:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月04日

開発コンサルタント

開発コンサルタントという職業があります。
まずは、それを説明した文章を抜粋します。
(国際協力ガイド2010、国際開発ジャーナル社、60ページより)

「『開発コンサルタント』という職業を知っているだろうか?政府開発援助(ODA)や国際機関による援助の中で、スペシャリストという立場から、現場の最前線でプロジェクトを計画・設計・監理する人たちだ。具体的には、開発途上国政府の要請に基づいて国際協力機構(JICA)などの援助実施機関がプロジェクトを企画・立案。その目的をいかにして達成させるか、その方法論を提案するのが開発コンサルタントの仕事だ。そして、相手国政府や実施機関、対象地域の住民などと話し合いを重ねながら、プロジェクトを実施していく。
活動分野は地域開発、農業、水資源開発、運輸・交通、鉱工業、エネルギー、保健医療、教育、環境、経済、行政…と実に幅が広い。近年は、地球温暖化や食料問題、貧困など開発課題の多様化に伴い、活躍の裾野がさらに広がっている。」


こういう職業です。
過去の記事にも書いていましたね。僕の中でも気になる職業でした。
進路開拓支援セミナー国際協力編〜開発コンサルタント〜(2010年6月30日)
自分の専門性(Ma spécialité)(2010年4月5日)

そして、開発コンサルタントを擁してこういう仕事を行う企業が「開発コンサルティング企業」であり、日本国内にもいっぱいあります。従業員1000人以上の大企業から、少数精鋭のところまで、上記の本に紹介されているだけでも78社。一説では500社以上あるとされています。

実は、そんな開発コンサルティング企業の1社に、アシスタント・コンサルタントとして採用されることになりました。11月半ばより働きます。

「開発コンサルタントというのは、国際協力のプロだ」とは協力隊の時もよく聞いた話でした。上に抜粋した文章でも「スペシャリスト」って書いてますよね。語学力、専門力、経験、その他諸々、僕にはまだまだ足りていません。採用通知が来た時、めちゃくちゃ嬉しかった半面、「えっ?僕が?信じられない!」とも思いました。でも、会社が僕を信じて採用してくれるのに、僕が自分を信じないでいたら会社に対しても申し訳ないですよね。いい意味で現実を受け入れ、自分を信じてがんばりたいと思います。そしてアシスタントとしてしっかり仕事を覚えて、いつか一人前のコンサルタントになりたいです。

ちなみに、ほとんどの開発コンサルティング企業は東京など関東地方にありますが、この企業は珍しく関西にあります。だからしばらくは実家の大阪住まいです。
求人情報を見て「あっ、ここめっちゃ良さそう」と思い早速応募。ダントツの第一志望でした。そして面接でもすごく印象が良くて、「ここ、いいなぁ。ここで働きたいなぁ」と思っていたので採用通知は本当に嬉しかったです。
もう1ついいなぁと思ったところは、この会社が海外のみならず国内にも目を向けているところ。このブログでも前に書きましたが、協力隊としてカメルーンで活動して、カメルーンのため、地域のため、村のために一生懸命に働く人たちと接して、「僕は日本のために何かしたか?まだ何もしていない」と思いました。そして、国際協力には携わりたいけど、日本の国内のためにも働きたい、こんな2つの気持ちがありました。でもこの会社なら、どちらかを選ぶのではなくて両方かなうじゃないか、そう思いました。

ということでカメルーンから帰国して4ヵ月、無事に就職活動も終わりました。
これまで「帰国した隊員の帰国ショックやその後…」などというテーマで書いてきて、正直ネタ切れ気味だったのですが、これからは「開発コンサルティング企業から見た国際協力」なんてことも書いていけるかもしれません。「帰国隊員のその後」よりもはるかに面白そうですね。このブログの存続価値も出てきましたね☆

これからも気ままに更新していきますので、たまにのぞいてやってくださいね。
どうぞよろしくお願いします。
posted by まっつん at 13:17| Comment(2) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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