2010年06月12日

2年たって、ようやく理解できること(J’ai compris beaucoup de choses après 2 ans)

昨日も書きましたが、2年たつと、カメルーンの文化や常識、事情なんかがよく分かってきて、今なら理解できるとか許せるということが多くあります。

例えば、前の配属先について。以前は、昨日も書いたように「なんだこの偽善団体は! 地域のために活動しているとか言いながら、私利私欲のためにしか活動してなくて、嘘っぱちじゃないか!」と思っていました。でも、グループの格で言うと、前の配属先はAssociationでした。カメルーンでは大まかに書くと、GIC(住民グループ)→Association(少し大きな団体)→ONG(NGO)となります。前の配属先はNGOにも満たない小さな団体だったのです。

今の配属先に移ってから、地域にあるいくつかのAssociationと石けん作りなどの活動を一緒にしましたが、どのAssociationも地域のため、公のために活動している団体はありません。みんな当然ながら、自分たちの団体のために活動しています。CEAC(国の機関)に配属になって、色んなGICや団体と活動をして、カメルーンの事情を知っていくにつれて、「前の配属先って単なるAssociation格だったのか。そんなに小さければ公の協力隊員を受け入れることがまず難しいし、地域のために活動しろと言っても無理に決まっているな」と理解できるようになりました。前の配属先が私利私欲に飢えた偽善団体だったのではなく、Associationとしては普通の状態だったと言えます。

でも、前の配属先でカメルーンを経験したことは大きかったです。前の配属先での経験がなければ、今の配属先でもCEACのセンター長などとケンカをしていたことでしょう。
というのも、はっきり言って、僕のところのセンター長はあんまり熱心ではありません。家は首都にあって、村にいるのと首都にいるのが半々くらい。また今日などは、あるグループがAssociation格として国から認められたというのでそのお祝いに呼ばれていたのですが、その手続きを代行した所長はそのグループの代表から賄賂を受け取っていました。
こんなの、もしカメルーンに赴任した当初だったら、多分僕は許せなかったと思います。センターにはセンター長1人しかスタッフがいないのに、あまり村にいないし、積極的に活動に取り組んでいる様子もないし、賄賂を暗に要求してお酒ばっかり飲んでるだけ。でもカメルーンでの常識があったり、昨日書いた公務員の事情なんかもあるんでしょう。特に賄賂はもうこの国では当たり前。僕が1人正義感に燃えて「ダメだ」と言ったところでどうしようもありません。僕はセンター長にはとやかく口出しせずに、村の住民や住民グループの中で熱心な人たちにターゲットを絞って活動しました。

さて、2年トータルで考えると、前の配属先で対立した経験もいい糧になったと思います。しかし、今やっと色々と分かってきたのに、協力隊の任期は2年。もう僕は帰ります。しかしもし今から協力隊活動の2年が始まるのなら、もっと濃くていい活動ができると思います。帰る間際の人って、きっとみんなこう思うはずです。でも決まりですしね。配属先にとっては2年毎にボランティアが変わって効率は悪いけど、それも含めてボランティアですからね。2年というのは短すぎず長すぎずでちょうどよいかもしれませんね。
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2010年06月11日

協力隊のジレンマ(Le dilemme des volontaires)

前に隊員仲間の1人としゃべっていた時のこと。彼は配属先の状況をよくするぞと熱い気持ちを持っていて、精力的に活動していたそうです。でも、なぜ彼が熱いのか、真剣なのかが同僚たちはよく理解できず、「ただの厳しい人」のように同僚たちに思われ、彼と同僚たちの間で問題が起きたと言っていました。

これと似たようなことを僕も経験しています。それは前の配属先でのこと。赴任当初というのは、カメルーンのことは何も知りません。常識、慣習、ものの考え方、文化、全く知りません。そして相手も、日本のそれらのことは全く知りません。それ以前に、「国が違えば、常識や考え方、文化、風習などが違うので、外国の人との異文化間コミュニケーションは難しい」ということすら知らない場合もあります。そうなると、ちょっと変わった考え方や常識を示した場合、「日本人はこう考えるんだな」と相手を理解しようとする気持ちは働かず、「変なやつだ」と思われるだけで終わってしまうこともあります。僕ら日本人、協力隊は「カメルーンと日本の文化は違う」と分かっていますが、相手側は国が違えば文化が違うということすら知らない可能性もあります。まず、これを頭にいれておかねばならないでしょう。
そんな状況なのに、日本人的な考え方に基づいて行動していた僕は、配属先と対立的な状況となり、結局は任地変更となってしまいました。

協力隊に来る人は、極稀にバカンス気分の人もいますが、ほとんどが熱い気持ちを持った人たちだと思います。何とか途上国の役に立ちたいなとみんな思っています。でもその気持ちが真剣であればあるほど、現場でギャップを感じるかもしれません。

分かりやすい例が学校の先生。カメルーンには小学校教諭として小学校に派遣となる隊員も多いのですが、そんな隊員が一緒に働く人たちは小学校の先生たちで、彼・彼女らの能力強化が隊員活動の一番の目的となります。
でも、日本も同じでしょうが、学校の先生の全てが教育に熱い気持ちを持っている人たちではありません。中にはつぶしがきくからとか給料が安定しているからという理由で先生になっている人もいるでしょう。
カメルーンでもきっとそう。日本よりも失業率が高いカメルーンでは、大卒などの高学歴者の職がほとんどありません。そんな状況の中、公務員である先生は安定した給料と社会的地位が確保できるかなりいい職業です。だから教育に熱い気持ちを持った先生だけでなく、お金や地位目的の先生もいることでしょう。
そこに派遣される協力隊員。教育のことを真剣に考えている熱い先生は協力隊員を歓迎するでしょうが、中には「このまま気楽に適当にやっていきたいのに…」と邪魔に思う先生もいることでしょう。

村落開発普及員も同じ。カメルーンではほとんどの村落開発普及員がCEAC(コミュニティー教育開発センター)に配属されます。CEACは全国に110ヶ所ありますが、このセンターの職員の全員が農村開発に命を捧げている人ではないでしょう。これも公務員なので、上に書いた先生と同様に、色んな思惑の人が働いていると思います。真剣な人にとって協力隊員の存在は嬉しいでしょうが、「なんだよ、今まで適当に楽してやってきたのに、ボランティアが来たおかげで、より真剣に働かなくちゃならないじゃないか。邪魔だなあ」と思う人もいるはずです。

協力隊が派遣される職場には、まずこういう事情が存在していると思います。それに加えて、カメルーンでは日本ほど「仕事」「職」というのが重要視されていないように思います。特に農村部では「家族」とか「地域での人間関係」とかも大切なので、日本よりも仕事に対する真剣さは多少低いかもしれません。

このような状況の中に隊員は派遣されます。すると、「あれっ? みんなあんまりやる気がないな」とか「私って本当にここに必要とされているのだろうか?」と思い始めます。だいたいの人がこうなるんじゃないでしょうか。

ここからが協力隊のジレンマだと思います。自分の心の中にある「途上国のために役に立ちたい」という熱い気持ちをどこまで出すか、どこまで同僚たちに求めるか、そしてどこまで妥協できるか。

出しすぎて、同僚たちに求めすぎると、上に書いたように対立してしまうでしょう。僕も、最初の配属先に対して、「なんだこの偽善団体は! 地域のために活動しているとか言いながら、私利私欲のためにしか活動してなくて、嘘っぱちじゃないか!」と感じました。そして「もっと地域のためにやろう」と意見を出したのですが、そうしていくうちにドンドンと対立関係になってしまいました。

でも、全く出さずに完全に従順してしまうのも問題です。何の意見も出さず、配属先に完全に従っていては、日本人ボランティアである意味がないでしょう。文化や考え方が違う外国のボランティアが来ているからこそ、その人と意見交換をして違うものを取り入れることによって、配属先は発展していけるのです。だから全部妥協して、自分の意見を出さずに従っているだけではいけません。

これは、職場での問題だけではありませんよね。普段の生活でもそうです。カメルーンって、もてなす文化だし、人と交流する文化なんですね。だからしょっちゅう色んな人から誘われます。日本人の感覚からしたら、最初はうざいと思います。「休みの日くらい、1人でのんびりしたいよ」って。さらに油がぎっとぎっとのカメルーン料理にドカンと大量に出てくるアルコール類による攻撃(アルコールが飲めない場合はコーラやファンタなどの炭酸飲料)。断るのは失礼だし、でも全部食べきれないし、アルコール類も炭酸ジュースもこんなに飲めないし…、と悩むところですが、「僕は健康を害したくないし、マイペースで生きたいから全部断ります」と断っていたら、そこから人間関係の構築は生まれないし、かと言って全部OKしていたら、疲れて不健康で体調を壊しかねません。どこで線を引くかですね。

要するに、どこまで自分の意見を出して、どこまで妥協するか。時には同僚とけんかすることも大切だし、時には相手に自分の理想を求めすぎずに、相手の意見や事情を察知して引くことも大切だし。まあでも、これも協力隊の醍醐味かもしれませんね。真剣に考えてストレスにしてしまわずに、こういうのも楽しめればと思います。
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2010年05月03日

肉を食べること(La consommation de la viande)

昨日の続きです。

エコロジカル・フットプリントを食生活だけに特化して考えると、肉を食べるというのは環境に負荷をかけます。例えば牛はかなり効率が悪いようで、詳しい数字は忘れたけど、牛を1頭食べるのに、牛1頭の何倍もの量の餌を与えなければなりません。そうすると、牛を食べるより、その餌の穀物を人間が食べる方が効率がよくて、環境にも優しいことになります。また問題は、牛の餌を生産するためにアマゾンなどの森林を破壊していることです。まあとにかく、牛を始め、肉を食べることは環境に負荷をかけます。

3年前に日本でこのことを学び、また同時期に「いのちの食べかた」という映画も見て、「肉を食べることはなんてひどいことなのか。環境にも悪いし、これは肉を食べる量を減らさねば」と思い、それ以降できるだけ肉を食べないように心掛けてきました。実際、この何十年かで日本人の肉の消費量は何倍にもなっているそうです。エコロジカル・フットプリントを考えても、肉を食べる量を減らすことは、その数値を減らすことに貢献します。ハンバーガーでなく、もともと日本人が食べていたバランスの良い日本食を食べることは、それだけで環境に優しい生活となるのです。

こう考えていてカメルーンに来たのですが、カメルーンでは僕は遠慮なしに肉をいただいています。「なんだそりゃ!?」と今皆さん思われたことでしょうが、別に毎日ガツガツ食べているという意味ではありません。料理として出されたら何の罪悪感もなく遠慮なくいただいているということです。

なぜか。日本で都会育ちの僕は、畜産の現場なんて見たこともありませんでした。そのくせに、「畜産はダメだ、肉を食べるのはダメだ、減らさなきゃ」なんて思っていました。でもカメルーンの農村では、畜産の現場に当たり前に出くわします。そしてそれがとても自然な畜産なのです。

ヤギや鶏は放し飼いでその辺の雑草や虫を食べて自然に暮らしています。豚なんかも、自分の畑でトウモロコシや大豆を育てて、その一部を餌としてあげています。牛も、無理に餌をあげて太らすのではなく、山の中で自然に放牧されています。畜産は村人の生活の一部です。そして環境に負担をかけず、自分たちのできる範囲で「少し余裕があるから豚を1頭飼おうか」みたいな感じで畜産をしています。カメルーンの畜産業は自然の中で、自然と共生して、環境に無理なくやっています。こういう畜産なら、エコロジカル・フットプリントを上げずに自然と共生するし、こうして育てられた肉なら食べるのに罪悪感どころか、たまのごちそうなので感謝の念を抱きながらありがたくいただきます。

畜産というのは元々こういうものだったのかもしれません。農耕機械のない時代(カメルーンは今もないですが)、全ての土地を農地にすることは難しく、クワを持って自分の食べる分だけを農地として耕します。そして隣の余った土地の雑草をヤギや豚などの家畜が食べます。すごく自然な流れです。そして「もうちょっと家畜を増やそう」と、隣の余った土地に家畜の餌を植えて育てます。こうすることによって家畜が効率的に餌を食べられるので家畜の数が少し増やせます。今のカメルーンでは大多数の農家がこの程度までの自然に無理のない畜産をしています。ただ「畜産は儲かるな。よしもっと増やそう」と、土地をどんどん家畜の餌用に耕して家畜も数百数千単位で飼い出すと、それはもうやりすぎで、環境に負荷をかけることになります。つまりエコロジカル・フットプリントが地球の持続可能な1.8haを超えてくるわけです。

効率最優先で、動物を機械のように扱って、いっぱい食べさせて、太らせて、売る、みたいな工場のような畜産ではなく、こういうカメルーンのような自然と共生する畜産がこれからの先進国の畜産の姿なのではないかと思いました。
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2010年05月02日

エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)

前にどこかでエコロジカル・フットプリントの話を書いたかもしれません。これは、生活していくために、人間が1人当たりどれくらいの土地を必要とするかを算出した数値です。もちろん、家のスペースとかそういうのじゃありません。お米を1人年間50kg食べるとしたら、どれくらいの田んぼの面積が必要かとか、そういう人間が生きていくために必要なもの全てを計算した数値です。

エコロジカル・フットプリント・ジャパン(http://www.ecofoot.jp/)によると、地球の持続可能なレベルは1人当たり1.8ha(ヘクタール)なのですが、日本人の今の生活は1人当たり4.3haの土地を必要としていて、アメリカ人の生活をするなら1人当たり9.5haの土地が必要なのだそうです。つまり、もし世界中の人が今の日本人の生活水準で生活をすると、地球が2.4個必要となります。もし世界中の人がアメリカ人並みの生活をしようとしたら地球は5.3個も必要なのです。

これはつまり、日本やアメリカなどの生活は単純に超贅沢で、その贅沢さのレベルが地球の限界を超えているということです。僕は今、カメルーンで農村開発のボランティアをしていますが、もし世界中の全ての国が発展しても、今の日本のレベルの生活を全ての国の人がすることは、地球のキャパシティから考えて不可能なのです。ということは、発展途上国が発展することも大切だけど、先進国が生活水準を落とすことも大切ということです。まあ生活水準を落とすと言っても、洗濯機の使用をやめて川に洗濯に行くという意味ではなく、ぜいたくを控えて、いかに地球に負荷をかけないで環境に優しい生活をするかということです。先進国がこれに取り組まない限り、途上国の発展はありえないでしょう。

続きはまた明日。
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2010年04月23日

畑仕事2(Les travaux des champs 2)

今日は隣の家に住む奥さんの畑に行きました。彼女はマニオック(キャッサバ)、トウモロコシをメインに、植えています。販売用ではなく自家消費用。

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畑への出発前。3歳の子供も一緒。なぜかまるで北国に行くかのような格好。

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家から1.5kmぐらい。こちら彼女の畑。

今日、彼女はまだ植えていない場所を耕してマニオックとトウモロコシを植え、僕は雑草抜きの手伝いをしました。

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それにしても、農業は大変だなと思います。もちろん、肉体労働としても大変なのは当たり前ですが、灌漑施設がなく雨水に頼るだけで、害虫対策なども不十分な農業は先が見えない仕事です。いっぱいがんばっても、全く報われず何もならないこともあります。


農業は大切だと協力隊に来る前から思っていました。ここ何十年かで世界的に人口は爆発的に増えているにも関わらず、世界の農地面積は実はほとんど増えていないのです。日本では食料自給率が40%。食料が足りていません。そして単純に、農業がないと人間は生きていくことができません。

こういう意味で、農業はとても大切ですが、「農業が大切だ」と思いながらも農業の現場がどんなものか、都会育ちの僕は全く知りませんでした。


今、僕はカメルーンの農村で暮らしています。農業の現場を間近に見るし、農家の悩みなども聞くことができます。この経験はありがたいなと思います。

マクロ的な視点で考えて食料政策として農業は大切だけど、ミクロ的に見ると1人1人の農家にとって農業は生きる術で生活の一部。どちらの視点も大切だなと思います。

将来、途上国の農村開発に関わる仕事をしたいなと思っていますが、この両方の視点を大切にしながら、農家の人ががんばった分だけ報われるようにできたらなと思います。
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2010年04月18日

マラリアに対する蚊帳の効能(L’efficacité de la moustiquaire contre le paludisme)

マラリア予防のために蚊帳の中で寝ることは大事だと言われています。日本から蚊帳を運んで無料で配布するプロジェクトもあるとかないとか。でも、マラリア対策の中で蚊帳がそれほど効果的かというと、ないよりはいいけど、絶対的な効果はないと思います。

マラリアを媒介するハマダラ蚊は夕方17時〜翌朝7時くらいに飛び回ります。もしこの時間帯にず〜っと蚊帳の中にいるなら、蚊に絶対に刺されないので、一生マラリアにはなりません。でも、そんな囚人のような生活をすればの話です。村では、みんな夕方に外で料理をします。村での社交生活もあるし、何かお祭りの日は夜遅くまで外で飲んで踊ったりしています。仮に外に出なくても、村では隙間だらけの土壁の家が多く、天井が張られていない家も多いので、屋根と壁の隙間から虫が入ってきます。日本のような密閉された家はほとんどないのです。いくら蚊帳を使用しても、一生ハマダラ蚊に刺されずに、マラリアにならずに過ごすというのは不可能です。僕も100%蚊帳の中で寝ていましたが、マラリアになってしまいました。

もちろん、蚊帳を使用すれば寝ている間に刺される危険性が減ります。その分、マラリアの発生率も少しは下がるでしょう。だから推奨されるべきではあると思います。特に赤ちゃんには有効で、赤ちゃんなどは抵抗力が低くマラリアで死ぬ確率も高いので、夕方から朝まではず〜っと蚊帳の中に入れておくのはいい手かもしれません。でも赤ちゃん以外にはあまり有効ではないので、他にやるべきことはたくさんあると思います。

例えば、蚊の生息域を遠ざける。カメルーンでは、特に雨季には雑草がぐんぐん伸びてすぐに藪になります。家の周りのこういう藪はきちんと手入れをして、蚊を遠ざけるのです。あるいは、マラリアには絶対になるので、これとどう付き合っていくかを考えるのも大切でしょう。なってから薬を買いにいくのではなく、薬を常に常備しておくとか。まあ、蚊帳だけでは何もできない。蚊帳と、隙間のない家の作りと、雑草刈りと、薬と、という風な、総合的なアプローチが大切ということでしょうね。
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2010年04月11日

今日考えたこと(Ce que j’ai pensé aujourd’hui)

今日は前に石けんセミナーで50人もの人が集まった隣の郡の村に出向いて、マヨネーズの作り方セミナーを行いました。今日も30人ぐらいの人が集まってくれて、ちょっと失敗があったものの盛況に終わりました。ちょっと失敗というのは、最初、村の人が用意してくれたウフ・ドゥ・ビラージュ(œuf de village・村の鶏が産んだ栄養価の非常に高い卵)を使ってやったのですが、黄身が濃すぎてうまく混ざらず、マヨネーズになりませんでした。急きょ店で市販の卵を買ってきてもらい、それでやると成功しました。

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さて、セミナーはまあ良かったものの、始まるまではさすがにカメルーン。約束は11時だったのに、その時間に着いても誰もおらず。2時間ずっと待ちぼうけ。そしてお腹がすいたのでご飯を探して食べていると、約束していた村のグループの代表が泥酔状態で現れ…、という感じ。

まあしかし、のんびり待つのにもすっかり慣れました。約束は11時だったけど、たぶん14時ぐらいだろうなと思っていたので、今日なんてむしろ僕の予想より1時間早いぐらいでした。

待っている間にぼんやりと考えていたのは帰国後のこと。僕の住む村には池で淡水魚を養殖しているグループがあります。隊員レベルの活動は、このグループと一緒に個別に活動して、このグループの養殖をサポートすることでしょう。けど、隊員がいくらがんばったところで、カメルーンには冷凍の安い輸入魚が大量に入ってきており、このグループが成功したところでたぶんこれには勝てません。味も値段もいまいちの淡水魚よりも、安くてうまい輸入の海魚をみんな食べますよね。

ということは、隊員の活動だけでは農村開発はどうにもならないということです。この例で言うなら、輸入魚に関税をかけて国内産魚を保護するような国の政策も必要なわけです。隊員のような現地の人と直に活動する仕事と、国の上の方で政策を決定する仕事、両方が大切なわけですね。普段、村の中に入って活動していると、協力隊のような活動だけを続けていけばいつかは農村開発が達成されるんじゃないかと思ってしまいますが、今日はふと、いやいや国レベルの仕事も大切だなとぼんやり思いました。
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2010年04月05日

自分の専門性(Ma spécialité)

今日は、今カメルーンに来ている開発コンサルタントの方とお話する機会がありました。

「帰国後は国際協力の分野で」と思ってはいるものの、その分野は広い。日本の大学などで研究する人、国連や国際機関で働く人、JICA関連で働く人、日本の地方自治体の中で国際協力に貢献する人、NGOで働く人、協力隊などのボランティア、そして一般企業やタイトルの開発コンサル会社もそうです。

開発コンサル会社とは何かと簡単に書くと、JICAなどが例えば「カメルーンで橋建設のプロジェクトがあります」と言った時に、「うちがやります」とそのプロジェクトを引き受ける会社です。昔は、日本の援助は物を作るというのが多かったため、建設系・技術系の会社が多かったようですが、最近では人に焦点を当てたプロジェクトも増えてきたため、建設会社でない開発コンサル会社もあります。とにかく、「漁獲量アップを5年間で目指すプロジェクト」があればそれを取り仕切ってやるのが開発コンサル会社で、開発コンサルタントは国際協力のプロと言えるでしょう。

その方と話をしていて話題に出てきたのが「専門性」。国際協力の分野でやっていきたいなら、自分の専門性を磨くことが大事だというのです。逆に、この分野にはジェネラリスト、コーディネーター的な人はいっぱいいるとのことです。それは、例えば国際開発学部を卒業して、国際協力のことは広く知っていて、語学もできる人のこと。そういうジェネラリストももちろん必要だけど、でもこういう人が「漁獲量アップのプロジェクトでプロジェクトマネージャーをできるか?」と問うとできません。専門性がないからです。

これと似たような話を以前聞いたことがあります。昨年のケニア研修で講師を務めていた開発コンサルタントの方も「国際協力の分野では専門性が大切だ」とおっしゃっていました。また、昨年別の開発コンサルタントの方とJICA本部から視察にいらした職員の方たちとお話した際、「最近は国際なんやら学部というのが増えたけど、そういうところの出身の人材が一番使えない。『私は国際開発学部出身で国際開発ができます』と言っても、国際開発の中で何ができるのかが大切なので、そんなのはつまり何もできないと言っているのと同じだ」とおっしゃっていました。これもつまり、最近の人材はジェネラリストがあふれていて、専門性を持った人材が少ないということですね。

しかし、耳が痛い話です。かくいう僕も、国際文化学というところを出て、英語とフランス語もちょっとできるけど、何の専門性もなくここまできたからです。いやぁ、痛すぎるわ。。。

もし国際協力分野で働きたい高校生・大学生がこのブログを読んでいたら、今の話は参考になるのではないかと思います。「専門性」、国際協力の分野で働く人たちがみんな口を揃えて言う言葉。そして自分の専門性を磨くためにも、「国際開発の分野の中で何に特化して携わりたいか」と考えて、水産で行くなら水産学部、農業で行くなら農学部、都市の設計で行くなら建築学部、医療で行くなら看護学部や薬学部・医学部、教育で行くなら教育学部、政治から攻めるなら政治学部、お金の融資系で行くなら経済・経営学部、などなど、自分が携わりたい学部・大学院で専門性を身につけるのは大切だと思います。と言っても、高校生の段階で「これ!」というのを決めるのも難しいかもしれないので、僕が進んだような国際なんやら学部も全体のことを学べるのでいいとは思いますよ。ただ、「専門性」のことは常に意識しておいた方がいいかもしれません。

さて、僕はどうするかなぁ。国際協力の中の農業や食、農村開発の分野で専門性を身につけて携わっていきたいとは思うけど、この分野もまたあいまいで広いので、大学院に行くならもうちょっと特化して絞らないとですね。ていうか今ふと思ったけど、逆にジェネラリストの道で今まで来たのだからジェネラリストのプロになるのもいいかもしれません。開発コンサルタントなど、現場の最前線で働く人たちがいる後ろには、裏方として事務や広報、会計などの仕事をしているジェネラリストが大勢いると思うのです。そっちを目指すのもありですよね。まあ、今は考えていてもよく分りません。まずは残りの任期をがんばります。
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2010年03月31日

帰国時ハンドブック(Manuel de retour au Japon)

昨日来た2人から、首都からの預かりものということでこれを受け取りました。

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「帰国時ハンドブック」です。ただ、最近やっと活動も乗ってきたところなので、僕としてはまだまだ帰国というモードではなく、なんか遠い世界の話に感じますが、帰国が徐々に迫ってきているのは事実なようです。

ちなみに、カメルーンを発つのは6月22日の夜9時。スイス・チューリッヒを経由して、24日(木)の朝7 時50分に成田空港に到着する予定です。

それにしても最近になって、協力隊の仕事って楽しいなと思うようになってきました。国際協力の現場にこんなに入って、村人と一緒になって活動していけるって、すごいことだなと思います。結果がすぐに見えるし、人々の喜ぶ顔も残念な顔も見えるし、村人の生活に影響を与える大きな仕事だと思います。

帰国も近づいてきて、これからどうしようかとよく考えます。

協力隊に来る前は、貧困問題を解決するのは使命のように感じていました。だから国際協力に携わらなければならないと思っていました。

今は、使命とは感じなくなりました。国際協力には様々な分野があり、様々な状況があります。僕が見ているのはその中のカメルーンという国の中央州の中の1つの村落だけですが、ここでは絶対に解決しなければならないような悲壮感にあふれた貧困というものは見えません。もちろん、生活は貧しいし、村の生活を見ていると農業を始め、生活水準やらジェンダーやら環境やら問題が山積みです。でも、人々は明るくて幸せそうなのです。村の人は自慢げによく言います。「カメルーンはいい国だろう! お金はないけど、食べ物はいっぱいあるぞ!」と。もし人々に「幸せですか?」ってアンケートをしたら、日本人よりカメルーン人の方が「幸せです」って答える率が高いかもしれません。毎日笑って楽しく生きている人々の姿を見ていると、自分も楽しい気持ちになってくるし、「貧困問題を解決しなければ」と使命には感じなくなりました。

でも、将来は国際協力に携わっていきたいなと思っています。1つは、今の活動が楽しく、ずっとこの分野で仕事をしたいなと単純に思うから。そして、人々は笑って暮らしているといえども、解決すべき様々な問題が残っているということ。村の人たちはちょっとでも村の生活をよくしようと努力しているし、その姿を見ていると、自分ももっともっとこの分野で仕事をして、少しでもよくなるように貢献したいと思うからです。

村の生活はこれからどんどん変わっていくと思います。発展するということは社会が変わることだからです。JICAでは「キャパシティ・ディベロップメント」と言って、人々に力を付けさせるみたいな意味ですが、これに力を入れています。実は配属先のセアック(CEAC)でも、この「キャパシティ・ディベロップメント」と同じことがセアックの目標として掲げられています。つまり、人々に働きかけて、気づいてもらって、色んな能力を身につけて、人々が持っている力を伸ばして、彼・彼女らが行っている村落発展の活動を助長していくというものです。

では、「キャパシティ・ディベロップメントが達成された」というのはどう判断すればいいのか? それは社会が実際に変化したという結果を見るしかありません。つまり、社会が変わらなければ「キャパシティ・ディベロップメント」が達成されたと判断できないし、逆から考えるとセアックやJICAは社会を変えるために活動しているということになります。だから、社会が発展するということは社会が変わることなのです。

そして村の人たちも今の生活を少しでもよくしようと、グループを作ったりして活動しています。これはつまり、今の社会を変えたいということでしょう。

社会が変わるというのはすごいことだと思います。そしてすごく慎重にやらねばならないと思います。単純に近代化して、お金を儲けて、生活を便利にする、ではダメだと思います。その地域の伝統や文化を理解しながら、その地域に合った社会発展の道を探っていかねばと思います。

国際協力、村落開発、社会を変えていく仕事。もしこういうすごい仕事に携われるなら、とてもやりがいがあるし、チャレンジングで、自分自身も成長していけるような気がします。まあ、今はまだペーペーだし、競争も非常に厳しい業界なので、まずは少しずつ色々と経験を積んでいきたいと思います。
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2010年03月22日

ゆったりとした時間の流れの中で(Dans le temps à l’aise)

最近、カメルーンの色んな部分をいとおしく感じます。特にその適当な部分は心地いいぐらいです。

例えば、首都でタクシーに乗ります。でも、いきなりわけの分らない場所で止まることがあります。運転手はそこで降りて、僕はタクシーの中で置いてきぼり。何かと思えば、運転手が道端の商人からお菓子を買って携帯のクレジットをチャージして雑談しているのです。長距離バスでも、お客さんを乗せて出発してからガソリンを入れたり、タイヤの空気を補充したりすることは普通。道端でお肉が売っていればバスを止めて運転手が買いに降りたりすることもあります。お店でも、レジで接客中のお客さんを早く終わらそうという概念がありません。レジで並んでいると、レジの人と僕の前の客が顔なじみだったらしく、話が盛り上がって、後ろに並んでいた僕は延々と待たされ続けるということもありました。村ではもっとのんびりです。

本当に書き出したらきりがないけど、サービス業が発達している日本だったら「おい、客を待たせるなんて何事だ!!」とお叱りを受けるようなことばかりです。一言、「適当」。しかし、この適当さが最近めちゃくちゃ心地よくて、いとおしいのです。

日本の社会とカメルーンの社会を比較した際に、一番大きく違うのは時間の流れではないでしょうか。これは日本とカメルーンのみならず、近代化された社会とそうでない社会の違いとも言えるでしょう。

おおまかに書くと近代化社会というのは資本主義社会で、資本主義社会は時間をお金と同じように「使う」社会、「Time is money」の社会だそうです(見田宗介「社会学入門」)。日本の社会を思い浮かべると、時間を効率的に使っていますよね。生活のスケジュールがびっちりと立てられていて、時間を無駄にしないように生活しています。全てが合理的に動いています。例えば、「今日は14時から隣村で石けんの講習会だな。すると13時には家を出ないといけないので、12時には昼ご飯と食べないといけない。今は10時か。じゃあこの2時間で洗たくしよう」などと、自動的に考えるような習慣が、近代化社会で育った人間には身に付いています。

一方、近代化の精神がまだ入りきっていないカメルーンのような社会では、時間を効率的に使うこともなく、スケジュールもあってないようなもの。長距離バスはいつ出発するか分からず2,3時間待ちも普通だし、料理だってのんびりと3時間ぐらいかけて準備します。「この3時間の料理時間は明らかに無駄が多いから、効率よくすれば1時間半に短縮できる。そして余った1時間半を何か他の有効なことに使おう。例えばこの時間で裁縫を習って現金収入の向上に…」と日本人なら考えそうだけど、カメルーンの人の時間のとらえ方は日本人のものとは多分違うので、このようには考えないと思います。よく分りませんが、カメルーン人にとっては日本人のように「時間は有効的に使うもの」ではないのでしょう。

ということで、無駄の多いカメルーンではうまく事が進まないことも多く、最初は色んなことでいらいらしていましたが、せかせかとしていない適当さ加減が、最近いいなあと感じます。焦燥感も全くなく、のんびりとゆったりした気分になれます。スピード社会の日本ではなかなか味わえない感覚だと思います。

しかしなぜゆったりしているのか。少し考えてみました。日本などの近代化社会では時間を節約して少しでも有効に使おうとしますが、そうするためには「余ったこの時間でこれをしよう」とスケジュールを立てる必要があり、やらなければならないことをいっぱい頭で作り出す必要もあります。せっかく時間を節約しても、余った時間でぼーっとしていたら時間の無駄ですからね。だから「時間は使うもの」「Time is money」の精神の社会では、できるだけ余分な時間を減らして常に何かするように、自動的に頭でそう考えてしまうのでしょう。そして何かしていないと時間がもったいないぐらいに感じるのでしょう。

逆に近代化されていない社会では、「時間は使うもの」ではないので、「今日中にこれとこれとこれをして…」なんてきっと考えないのでしょう。今日中にしなければならないこともなく、時間が余ってももったいないと思わず、時間とゆっくり付き合って生活しているのだと思います。だからあせらずにゆったりしているのでしょう。

でも、これが途上国の開発を阻害する要因だという考えもあります。計画的にスケジュールを立ててやっていかないと、プロジェクトも失敗するし、のんびりやっていては発展もできません。僕も最初はこれに賛成で、「予定を立てて、時間もお金もうまく使って、効率よくやっていく必要がある」と思っていました。でも、途上国を近代化社会にすることが発展なのか、開発なのかって最近思います。そうじゃないと思います。近代化社会(先進国)と近代化されていない社会(途上国)の関係は、先進国が上で途上国が下という優劣関係ではなく、ただ価値観が違うだけだと思います。

途上国には貧困があり、それを何とかするために国際協力が必要だということで、協力隊もその一環で派遣されています。けど、この国は途上国だと判断するのは近代化社会の価値観による尺度を使っているからで、全然別の尺度で社会を見ると「カメルーンより日本の方が貧困」と判断される部分もあるでしょう。

近代の精神、合理的で「Time is money」の精神を伝えて途上国を近代化社会にすることが、国際開発や国際協力のゴールではないと思います。近代の精神は1つの価値観であって、絶対ではないと思うからです。でも「無計画に適当にやっていたらいつまでたっても発展しない」というのはごもっともだと思います。じゃあどうするのかというと、まあよく分りませんが、彼らの価値観も大事にしながら、新しい発展の道、新しい社会の形を探っていくことが大切かもしれません。

今の僕にできることは、残り3ヵ月のカメルーン生活の中で、村の人の生活がちょっとでも良くなって、喜んでくれればと思います。村の人が幸せだと感じるような活動ができればと思います。

話は近代化や国際開発までそれてしまいました。とにかく、無駄だらけのカメルーン社会ですが、その不完全で適当でゆったりした感覚が何だかとても心地よい今日この頃です。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 思ったこと・考えたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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