2010年12月31日

2010年の振り返り

僕にとっての2010年は、「カメルーンからの2年ぶりの帰国」→「就職して社会復帰」など、まさに「激動」という言葉がしっくりくる1年だったと思います。

そして大きな転機の年だったとも思います。
国際協力の仕事って、実は学生時代からずっと興味がありました。大学院に進学したのもそういう仕事をしたかったからだし、協力隊も学生時代から「いつか行きたいな」と考えていました。
その協力隊に参加して2年間を終えたこと、さらにずっと就きたいと思い悩んで模索していた国際協力業界の仕事に就けたということで、2010年は学生時代からの目標を達成した年であり、そしてやっと新たなスタートラインに立てた年でもありました。


さて、ということで、今年1年がどんな年だったか、1月ごとに振り返ってみたいと思います。


<1月 活動が徐々に進展>
任地・配属先変更して4ヵ月目。石鹸作りやジャム作りの講習会活動がようやく始まり出したのがこの1月でした。

<2月 体力の底(寄生虫も)>
しかし、体力は遂にそこをついたようで、いきなりの発熱を繰り返したのが2月。寄生虫も発見されました。

<3月 活動も充実、カメルーンを愛せるようになってきた>
今まで、「何でやねん!」とカメルーンの常識や価値観に腹を立てることが多かったのが、全てを愛おしく思えて愛せるようになったのがちょうどこの頃。特に何かきっかけがあったわけではありませんが、身も心もカメルーン人になったような気持ちになりました。

<4月 残り3ヵ月、ラストスパート開始>
残り3ヵ月を切ったこの時期、講習会活動が乗ってきました。

<5月 大詰めの活動、そして同期と北西部旅行>
講習会活動は尻上がりに忙しくなりました。数えると、29回やって計324人に伝えることができました。そして、同期の隊員仲間とカメルーンの北西部を旅行。イスラム王国を訪れ、きれいな景色を見て、楽しい最後の旅行でした。

<6月 激動(村での村落開発イベント〜任地引き上げ〜日本へ帰国)>
まず僕の活動の締めくくりとして、村で村落開発の啓発セミナーを開催。100人以上が集まってくれて、JICAのことを知ってもらえたし、村落開発とは何たるかを考えるきっかけになったと思います。そして村から首都に引き上げて、2年間過ごしたカメルーンともお別れ。日本に帰国しました。まさに激動の6月でした。

<7月 逆カルチャーショック、おばあちゃんとの別れ>
日本はさすがに母国だけあって、久々の日本に大ショックを受けることはありませんでしたが、それでもところどころに「なんだこりゃ?」「なんだありゃ?」と違和感を感じる7月でした。そしてすごく個人的な話ですが祖母がなくなりました。実はカメルーンに行く前から病気がちだったのですが、帰国してから亡くなる前に1度会うことができました。おばあちゃん、どうもありがとう。

<8月 お遍路>
8月はお遍路に行きました。2007年に23番まで打っていて、今回はその続きからスタート。約2週間歩いて37番まで打ちました。

<9月 就活開始、タタさん来日>
就活を本格的に開始しました。しかし全然うまくいかず。書類選考すらも通りません。某転職支援サービスに相談に行くも、「あなたの経歴では紹介できる仕事はありません」と言われ自信喪失。協力隊でいくら活動をしても、結局は井の中の蛙。日本社会に戻ると自分はちっぽけな存在で、居場所さえもない。そしてカメルーンでの出来事が日本社会と相容れなさ過ぎて、カメルーンでの2年間は夢か幻だったんじゃないか、そんな風に感じていました。でも9月後半に配属先の上司で大変お世話になったタタさんがJICAの研修のためカメルーンより来日。東京に会いに行ってお話しました。そして感じました。カメルーンは井なんかじゃないし、夢の世界でもありません。だってカメルーンで村落開発に打ち込むタタさんが今目の前にいるのですから。僕の中で別世界のように感じていたカメルーンでの出来事を今の日本社会の生活と結びつけることができて、自分に自信を取り戻しました。

<10月 今後を模索する日々>
なかなか書類選考が通らず悩む日々でしたが、とりあえず前向きに就活。

<11月 就職決定、新たな挑戦>
そしてついに就職が決定。国際協力業界。開発コンサルティング企業。すごく嬉しかったです。しかし覚えることがいっぱいで大変です。でも、とてもいい雰囲気の会社で、それが救いです。

<12月 入院、初全身麻酔で手術>
実は11月に病気が発覚していまして、12月に入院しました。しかも初全身麻酔による初手術。初物尽くしです。全身麻酔というのはかなり貴重な経験でしたが、向こうの世界に行くことなく無事に帰ってきました。そして仕事にも徐々にですが慣れてきました。



こんな2010年でした。

まあ色々とありましたが、就職が決まって新たなスタート地点に立てたことが一番かもしれません。来年からが本当に楽しみです。また元旦の計でも立ててみたいと思います。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

フランス語検定2級、一次試験突破!!

一次試験の結果が届きました。

79/100点。

採点基準の分からなかった書き取り問題で結構点数をのばしていたようで、予想以上の高得点でした。かなり満足な結果です。

二次試験は1月23日。面接は5分間だそうです。カメルーンなまりのフランス語をぶちかましてやりますよ!



さて、この結果通知で面白かったのが、二次試験の集合時刻。

「10時58分」

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58分って(笑)!!


さすが日本。カメルーンじゃ考えられません。カメルーンでは「10時」と約束すると、だいたい「10時〜12時」くらいのことを指しますからね。58分と指定するなんてすごいわ! 日本ならではですね。
posted by まっつん at 00:36| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

手術を受けて考えたこと

「顎骨のう胞」という病気になりました。

カメルーンで歯のかぶせ物が取れたので、帰国後、歯科医院で治療していました。全て終了後、「あと、気になるところありますか?」と聞かれたので、「左下の奥に微妙な違和感があるんですが…」ということで見てもらったけど、歯も歯茎も異常なし。で、念のためレントゲンを撮ってみると、「歯茎の骨の部分が薄く白く写るはずだけど、黒く写っている。もしかしたらここに異常があるかもしれない」とのことで、近くの病院の歯科口腔外科を紹介されました。

そこでCTスキャンとかして今回の病気が判明しました。

歯茎の中に埋まっている親知らずが、何らかの影響でのう胞と呼ばれる液状の組織を肥大させて、それが歯茎内の骨や顎の骨を溶かすという病気です。僕の場合も若干溶けていたみたいですが、まだまだ小さい段階だとのことでした。

聞き慣れない病名で、怖そうな名前ですが、原因となっている親知らずと肥大化したのう胞を手術で摘出すれば大丈夫。その後の再発もありません。

でも、少し大がかりな手術となるため、全身麻酔での手術でした。

全身麻酔ってなかなか大変なんですね。まれに麻酔で死ぬこともあるので、前日から入念に準備をして手術に臨みました。

そして、点滴で全身麻酔を行うのですが、「あ〜、変なしびれる成分が体中に回り出した〜」と思った3秒後ぐらいに落ちました。で、目を覚ましたら「手術終わりましたよ〜」の声。

手術はおかげさまで成功でした。のう胞が神経を圧迫しているから神経を傷つける恐れがあるとか言われていたのですが、口の中の痺れもなく、神経も生きています。奥歯も抜かれずに残してくれて、本当に良かったです。



さて、今回の病気になって、カメルーンなど途上国のことを思いました。
向かいの家に住んでいた女の子は、赤ちゃんの時に髄膜炎になって耳が聞こえていませんでした。日本で適切な処置を受けていたら、もっと症状は軽かったでしょう。

そして、もし僕がカメルーンの村に生まれていたら…。病気になっても大きな病院で診察を受けられなかったら…。

実は僕、高校の時に自然気胸という肺の病気になったのですが、まずこの時に肺を1つ失っていたのではないかと思います。そして今回の病気。カメルーンでは歯科がまずほとんどなく、しかも治療費はものすごく高い。今回の病気は自覚症状もほとんどないので、受診しない間に病気が進行して、おかしいと思った頃には顎の骨が溶け切って、多くの歯を失っていたことでしょう。ほんと、もし僕がカメルーンの村に生まれていたら、まともに生きていくことは難しかったと思います。

日本とカメルーン、先進国と途上国の格差はとても大きいです。医療だけではなく、色んな分野で。今、幸運にも国際協力関係の仕事に就かせてもらっています。まだまだ下積みで、自分の力で何かできることはないですが、少しでもその格差を縮められるように、もっともっと勉強して、経験を積んでいきたいと思います。
posted by まっつん at 23:22| Comment(0) | 協力隊 帰国後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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