2009年09月29日

ことはそううまくいかない(Ça ne va pas bien.)

今日から配属先のディレクターと一緒に近くの村を訪問し始めました。
しかし初日の今日、さっそくがっかりしました。

最初の村を訪れた時、そこの偉い人と話していました。すると、「君はボランティアだからお金がないのは分かっている。でも、君は資金援助してくれるところをどこか知っているだろう? そこを紹介してくれ。そして一緒にプロジェクトを立てて、それに君のサインをくれ。そうすれば通りやすい」だって。この地域には以前にアメリカのピースコーが入っていたそうで、彼らはそうやって働いていたのだそうです。

プロジェクトの資金を獲得するために協力することを拒んでいるわけではないのですが、それがボランティアのメインの仕事ではないと思います。もうすぐ省庁を相手にした中間報告会があるのですが、例えばそこで「私はこの1年で10のプロジェクトにサインしました」って言ったとして、こんなの活動報告にならないと思います。初日の初っ端でいきなりこれだったのでちょっとがっかりしました。まあでも最初はこんなもんでしょう。残り時間は少ないけどコツコツやっていきます。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

引越(Emménagement)

ついに引越の日を迎えました。ンゴロ郡に来て約1年と2ヶ月。あっという間に感じます。活動上では色々とあったけど、この任地はすごしやすくて好きだっただけに、やはりさみしいです。

hikkoshi1.jpg


今日は車は約束の時間通り、朝の7時に来ました。
荷物を詰めてこんな感じ。

hikkoshi2.jpg

hikkoshi3.jpg


さてしかしこの車、僕の引越の荷物だけを運ぶのではありません。バフィアまでは他の人や荷物と一緒です。そしてまたまた常識外のすごい光景を目にしました!
後部座席に4人、前の座席に運転手を含めて4人、ここまではカメルーンでは普通。しかしこの日はもう1人お客さんがいたのです。
で、彼はどこに座ったかというと…



hikkoshi4.jpg



ここでした。分かりますか? 前のボンネットの上です。
なかなかありえません。さすがカメルーンです。


さて、車はこんな状態で走り続けバフィアに到着。それ以降は貸切状態になり、無事に新任地のNgoksa(ンゴクサ)に到着しました。


地図で見てみましょう。
hikkoshi6.jpg
Ebebda(エベブダ)という町が郡庁所在地で、ンゴクサ村はEbebdaの文字の真ん中の"b"辺りにあります。


こちらンゴクサのメインストリート。なかなかにのどかです。

hikkoshi5.jpg
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

約束は守られない(Ne tenu jamais la promesse)

今日は引越の予定だったのですが、僕が何度もこのブログに書いているように、カメルーンでは約束はたいてい守られません。しかし、僕は今日引越をするつもりで荷物をまとめていました。バカでした。そして頼んでいた車は来ませんでした。

ンゴロでは適当にその辺の車を拾うことができません。まず車の絶対数が少ない。しかもムチャクチャな中古車ばかりで、ちゃんと登録してある車は少ない。郡内を移動するならまだしも、今回は県を越えて移動するので、ちゃんと国に登録してある車じゃないと憲兵に止められるのでダメなのです。その車が来なかったので、今日は引越できませんでした。

仕方ないので、ホテルのメンバーたちとバーに繰り出して、飲んで踊りました。
かなり楽しかったです。最後にいい思い出ができました。

yakusoku2.jpg
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

牛ツアー@Nditam(Voyage à Nditam)

Babaさんはイスラム教徒で、Ngoro(ンゴロ)で最も信頼されている商人の1人。彼の店で品物を買えば質は間違いないと評判です。そしてめちゃくちゃ優しい。卵を買ったり、ビスケットを買ったり、いつもお世話になっています。こんな店です。

grand1.jpg

さて、イスラム教徒は元々遊牧民だった人が多いようで、彼らの特技は牧畜。Babaさんも遠くの山で牛を飼っているそうで、「いつか牛を見に連れて行ってあげるよ」とずっと言ってくれていました。けど僕の都合が合わず、Ngoroを去る前日の今日、Babaさんが都合を合わせて連れて行ってくれることになりました。


朝6時にBabaさんの家へ。彼は、「今日は牛を一匹連れて行く」と言っていました。しかしBabaさんの車は普通のセダン(トヨタの20年以上前のモデル)。

grand2.jpg

どこに積むんだと思ったら、こんな風に縛って、なんと車の後ろに入れてしまいました。最近、カメルーンにも慣れて常識外のことにもだいぶ驚かなくなってきたのですが、これは久々に驚きです!(ちなみにこの牛は怪我もなく到着し、牛の群れに元気に合流しました。)

grand3.jpg

grand4.jpg

grand5.jpg


さて、そんなこんなで7時半に出発。車は北に進み、前に住んでいたNyafianga(ニヤフィアンガ)を通過。さらにどんどん北上。Ngoro郡で一番北のNyamoko(ニヤモコ)村も通過します。このあたりから道が細く通りにくくなってきます。そして遂にNgoro郡を抜けてその北のNgambé Tikar(ンガンベ・ティカール)郡に入ります。

grand6.jpg


そして到着したのはNgoroから北に50キロほどの場所にあるNditam(ンディタム)村。所要時間は約2時間でした。

これはカメルーンの地図。
grand7.jpg

四角を拡大した地図。
grand8.jpg
下の青い線が首都のヤウンデ。北上して、中間地点の町バフィア。
そしてンゴロ。そして一番北の青い点が今日行ったンディタム。
地図だとこんな感じです。


このNditam、村の雰囲気がNgoroと違います。まず土が赤い。まるで西部州のよう。そしてイスラム教徒の比率が高い。家の形もNgoroとは少し違います。隣の郡に来ただけで、違う文化の国に来たような感じ。そして驚くべきことに、「ヒーホー(ニーハオのこと)」「シノワ〜(中国人)」とバカにされる率がなんとゼロパーセント! カメルーンならどこに行っても言われる宿命のようなこれらの言葉がこの村では聞かれません。いぶかしそうに見る人や「ブラン(白人)」と言ってくる人は少しいたけど、奥地の村では、それだけ人の心もピュアなのでしょうか。景色もきれいですごくいい雰囲気の村でした。

grand9.jpg

grand10.jpg

grand11.jpg


さて、ここから3キロほど森の中を歩いて、そこを抜けたところにBabaさんが飼っている牛たちがいます。

道案内してくれるBabaさん。
grand12.jpg

牛たち。
grand13.jpg

grand14.jpg

grand15.jpg


牛は当然でかいし、角も生えています。しかも小屋に入っているわけではなく放し飼い。最初は怖くて近寄れなかったのですが、じょじょに触れるようになり、最後は撫で回していました。

そして牛ツアーは終了。今の任地の最終日に、旅行気分で本当に楽しめました。



おまけの写真。

帰り際に見たMont Nyafianga(ニヤフィアンガ山)。
僕が最初に住んでいた場所の近くです。
なんか仙人が住んでそうな神々しい雰囲気。
grand16.jpg


Babaさんの孫娘。帰って来た時に店にいて、笑顔で握手で迎えてくれました。
grand17.jpg
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 観光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

いつものンゴロ(Ngoro ordinaire)

普段のンゴロ。今日はそれを紹介したいです。

今日は週1回のマルシェ(市場)の日。まずはマルシェの様子から。

ここがマルシェの入り口。
itsumo1.jpg

itsumo2.jpg


野菜。
itsumo3.jpg


肉。
itsumo4.jpg

itsumo5.jpg


魚を焼いているお姉さん。
itsumo6.jpg


服や雑貨も。
itsumo7.jpg


ベニエ(ドーナツ)も買えます。
itsumo8.jpg



続いて、これはンゴロのメインストリート。朝7時。
itsumo9.jpg


これは村の最高級のバー。夜7時。
itsumo10.jpg


よく食事をしていたところ。
itsumo11.jpg


うーん、もっと伝えたい景色がいっぱいあったのだけど、
意外に写真に撮っていないものですね。
でも何となく伝わったでしょうか?
ンゴロでした。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

きれいな景色(beau paysage)

今日は天気が良かったので、この前にランニングした時にきれいだなと思った場所にカメラを持って自転車で出かけました。


まずはサバンナ。カメルーンは国の南の地域が熱帯雨林で北は半乾燥地帯。アフリカで見られる様々な気候を1つの国で持っている国です。僕の住む中央州のンゴロは熱帯雨林とサバンナのちょうど境目の辺り。住んでいるところから少し行くと、こういうサバンナが見渡せる場所があります。残念ながらキリンやライオン、シマウマなど動物は一匹も見れなかったけど、とても雄大な景色でした。

keshiki1.jpg


そして、そこからこうして数百メートル進むと今度は森に入ります。

keshiki2.jpg


これが森の入り口。

keshiki3.jpg


中に入ると空気が一変。ひんやりしています。そして背の高い木々が覆いかぶさってくるかのようで、神聖な雰囲気でした。

keshiki4.jpg



さて、おまけで帰り際に撮影した写真を2枚。
これは農作業を終えて家に帰る主婦たち。

keshiki5.jpg


こちらは薪を頭に乗せて家に帰る途中の子供たち。
かわいくポーズを取ってくれました。

keshiki6.jpg
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 観光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

ラマダン明けのお祭り(Fête de Ramadan)

カメルーンにはイスラム教徒も多い。僕の住むンゴロは多分キリスト教徒と半々くらい。ということで、ラマダン(断食)明けのお祭りが今夜から行われています。ただ、お祭りと言っても花火とかがバンバン上がるわけでもない。みんないつもより食べて飲むだけ。都市部は知らないけど、田舎のンゴロではそれだけでした。でも僕もいつもよくしてくれるイスラムの人にご馳走をもらいました。そしてイスラム教徒の人たちは老若男女みんな着飾っていて、とてもきれいでした。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の村訪問(Dernière visite aux villages)

お世話になった村、ニヤディンギとニヤフィアンガを訪れました。ニヤディンギは15キロ、ニヤフィアンガは25キロ、今住むンゴロから北にある村です。

この2つの村は僕にとって特別でした。最初に住んでいた場所から最寄の村がこの2つ。「タケシー、タケシー」といつも優しく温かく迎えてくれた村でした。

両方の村とも、僕が去るということですごく驚いていましたが、最後は「僕らはさようならとは言わない。また来てね」と笑顔でお別れをしました。

彼らと一緒に活動できなかったことはとても残念です。でも気持ちを切り替えて、来年6月に本当にカメルーンを去る時に、こんな心残りな気持ちにならないよう、これからの活動をやっていきたいと思います。


美しいニヤフィアンガ村。
houmon1.jpg
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

所信表明(Mon opinion)

「ボランティアとは何か?」

結局、僕は何者なのかということを、いまだにうまく説明できない。

人と会って自己紹介する時に「日本のボランティアです。村落開発普及員(Animateur des communautes rurales)です。村落開発のために働いています」と言う。するとたいてい「じゃあ今度、マイスとかマニオクのよく育つ植え方を教えてね」などと言ってくる。そう、何か農業の専門知識を持っている人だと思われる。そこで僕は「いや、僕は農業の専門家じゃないから、そういうことは知りません」と言う。「えっ、じゃああなたの専門は?」と聞かれる。

ここからが難しい。「農作物の収穫量を上げることも大事だけど、村落開発ってそれだけじゃないんですよ」と言って、例えば改良カマドの利点(熱効率が上がるため薪の消費量が減る→薪を集めに行く時間が減る→その分いっぱい休める→疲れない→病気にならない→労働量が減らない)などを話したりして、村落開発普及員がやりそうな活動のことを話す。でも、それに食いついてくる人はあまりいない。「専門知識もないし、機械を導入するようなお金もないんだったらいいや」って感じで去っていく人が多い。

農業の専門知識があれば楽だと思う。「こうやって栽培するんだよ」って言って、実際に効果が出ればみんな喜ぶ。でもボランティアは専門家じゃないので専門知識は持っていない。専門的な職種でもそうかもしれない。野菜隊員だって、野菜の専門家ではないだろうし、小学校教諭も、みんながみんな小学校の教授法を極めた人たちではないだろう。

ボランティアって、技術とか知識を伝えることもあるけど、その次の段階がボランティアなのかもと最近思う。CEACの中央州の代表のマダム・タタさんが「彼は意見交換をしに来たのだよ」と村でのセレモニーの時に話していたが、異文化交流というか、別の視点を持った人間と意見交換するというのはなかなかのインパクトのように思う。直接に意見交換しなくても、普段接している中でボランティアが何気なく行動する中にカメルーン人の視点には無い行動があるかもしれない。技術を伝えることも大事だが、そういうボランティアの存在自体が新しい風になって村に影響を及ぼすかもしれない。(もちろん、ボランティアにとっても、異文化の中で生活して活動することはものすごい衝撃で、そこから学ぶことは多い。)

それって、目に見えるような見えないようなよく分からない効果だと思う。知識や技術だけでなく、人々の意識に訴えかけてそれを変えていくようなのは本当に時間のかかることだと思う。前の配属先の会長が言っていたように、それならボランティアを派遣する分の費用で何かを建設した方が効果があるかもしれない。実際、ボランティアによっては無風の人もいるだろうし、マイナスの風を吹かせる人もいるかもしれない。

「知識と行動力」

僕は、やはりいい風になりたいと思う。そのためには積極的に人々と関わっていくことが大切だと思う。新しい任地でも、色々なグループや人々がそれぞれの活動を行って生活している。その中に恐れずに飛び込んで行きたい。

前の配属先ではほとんど村で活動させてもらえなかったが、最初の頃だけ、調査という名目で村に行くことができた。正直、すごく怖かった。だって、村落開発普及員とかいう肩書きだけど、村落開発なんてやったこともないのだから。研修の資料とか村落開発の本とかを読んで、調査方法の知識を頭に入れて調査したことを覚えている。

今になって思うのは、もちろんそういう知識も大切だし無いに越したことはないが、どんどん行動していく積極性とか行動力の方が大切だと思う。こう書くと、知識は必要ないと言っているみたいだけど、そうではなく、行動力があることが大前提で、それにプラスして知識があれば申し分ないと思う。逆に知識だけあっても行動力がなければそれは生かされない。

残り期間は少ないけど、1年以上カメルーンに住んでいるので右も左も分からないという状況ではない。積極的に行動して、村にとってのいい風になれればと思う。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 思ったこと・考えたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

またね(Matané)

今日、ボランティア調整員さんが任地に来ました。今住んでいる住居の解約について、いろいろと条項があるのでそれをホテルのマダムと直接話すためです。しかし、マダムはおらず…。昨日、「明日、調整員さんが来るからね」とちゃんと伝えたのですが、別のところに行ったっきり帰ってきません…。まあこんなもんです、カメルーン。約束は守られるものと思ったら大間違いですね。

さて、次にンゴロから20キロ、ニヤフィアンガを訪れました。4月まで僕が住んでいた場所、今の配属先の活動地です。僕が配属先変更するというのを正式な書類の形で伝えました。今日はすんなり了承してくれました。というのも、配属先変更するに当たって少しもめかけた経緯があったのです。

今までこのブログでは説明していないので、ここで少し配属先変更の理由を書いてみたいと思います。僕の配属先はNGOにも満たない小さな団体。実は昨年12月頃から配属先変更は頭の片隅にありました。「こういう活動をしたい」と訴えても、「そんなことは我々でもできる。君がわざわざしなくていい」とか言われて活動上ですごく制約がありました。でも、ちょっと意見が違うくらいで配属先変更というのもどうかと思ったし、何とか彼らのいい部分を探して彼らと一緒にやっていこうと思っていました。しかし8月20日、進めていた活動に関して意見の食い違いがあり、相手側が怒ってボコボコに罵ってきた上で「もうお前なんか必要ない」と言ってきました。僕も「じゃあもう終わりだ」と言ってこの日は別れました。

その翌週、配属先がJICAを訪れました。てっきり契約破棄をしに来たのかと思ったら、なんと「これからもよろしく」みたいな感じだったそうな。JICA事務所からは「もう一度仲直りしてみたら?」と言われて、考えてみました。

もし仲直りしても、彼らの考え方が変わるわけではない。彼らは実際的にボランティアを必要としていない。彼らにはこんなことも言われた。
「君は村落開発のことを少し知っているけど、我々にはドイツのNGOで働いていた村落開発の専門家がアドバイザーとしている。君の知識なんか必要ない」。
「JICAはボランティアを1人派遣するのに何百万という大金を支払っているけど、そのボランティアがすることはかまどの普及とか衛生の啓発活動みたいな効率の悪い小さな活動だ。そんなのだったら、ボランティアを1人派遣するためのその何百万できれいなトイレを建設した方が早いじゃないか」。
僕は思うに、ボランティアは専門家ではない。ある程度の知識はあるものの、ある程度しかない。フランス語で「Coopération technique」(技術協力)という言葉をよく耳にする。ボランティアはお金とか物を運んでくる人ではなく、技術協力をする人なんですよと説明する時に使う言葉だ。しかし、職種や要請内容にもよるだろうが、特に村落開発普及員は技術協力ではないと思う。日本で研修は受けるものの、大半の村落開発普及員に専門技術も知識もないからだ。
じゃあ何をするのかと言えば、一緒に活動していく中で意見交換をしたり、「こんなのはどう?」って別の角度や視点から提案して、村人がいつも取り組んでいる活動とは違うものに取り組んだり、そんなのだと思う。それらの経験を通してお互いに成長していくのがボランティア活動なんだと思う。
でも残念ながらそういう活動に配属先は全く興味や理解を示さなかった。専門知識や技術もなく、お金もない。「お前はカメルーンに何しに来たんだ? 遊びに来たのか?」とよく言われたが、そうやって怒るのも仕方がないだろう。彼らは「専門技術のあるボランティアがほしい」とよく言っていた。例えば「稲作の技術を持ったボランティアを3ヶ月だけでいいから派遣してもらって、その間にセミナーを開いて稲作の技術を伝えてもらいたい」とも言っていた。もちそん、そういう技術協力はあるし、大切だろう。でもそれは短期専門家の範疇に入るかもしれない。
彼らが求めることをするために、僕は日本の研修で学んだことやケニア研修で学んだことを伝え、JICAから借りた本を見せて話したこともあった。でも例えばケニア研修で学んだPCMにしても、彼らにはドイツでPCMを学んだ専門家がアドバイザーとしており、彼の方がダントツに詳しく知っている。僕の存在価値は何なのだろうとずっと考えていた。また、彼らが求めたのは知識の伝達だけで、僕が直接村に行って活動することは拒まれた。上に書いたように「村に行って村人と話して、それでどうする? そんな効率の悪いことはするな。まず我々が発展して、我々の発展ぶりを村人に見せる。その方がインパクトがあって効率的だ。だから君は我々の発展のために君の持っている知識を我々に伝えてくれ」と言われた。結局はこんな感じだった。
しかし、知識だけが欲しいのなら、ボランティアは必要ないと思う。本を読めばすむことだ。ボランティアは相手の社会で一緒に働くことによって、技術や知識だけでない色んな影響を相手に与えていくものだと思う。効果はすぐには表れないかもしれないが。
意見の食い違いの後、彼らは考え直して僕と一緒に活動することを求めてきた。しかし僕の結論として、彼らはボランティアとしての僕には全く期待しておらず、ただ「JICAと協力している」という宣伝広告のマスコット的存在として僕を利用したいだけだと思った。小さな団体であるし、団体の会長は政治的な活動もしている。彼らにとって「JICAのボランティアを受け入れいている=JICAと協力関係にある」という事実はなかなかおいしい宣伝文句だというのは察しがつく。そんな彼らのところに仲直りして残っても、宣伝広告のために囲われてうまく利用されて僕の2年間の協力隊が終わるだけだと思った。
仮にこの団体が真に地域住民のために活動している団体なら、2年間利用されただけで終わっても、地域住民のために少しは役立ったと自分自身納得できるかもしれない。しかしこの団体、はっきり言って地域住民のために活動していない。大義名分では地域住民のためとなっているが、本質は自分たちの発展がメインなのだ。これも大きな問題。彼らのために活動しても、それが地域の発展につながるとは思えない。これも自分が納得できなかった点。
しかし配属先変更にはなかなか踏み切れなかった。異文化の中で活動しているのだから、意見とかが合わなくてそれは当然である。だから「意見が合わない」「彼らとは合わない」と言って配属先変更するのは「僕には協調性がありません。僕は無能です」と言っているのと同じだと思った。また「自分のやりたい活動が制約されてできない」というのも、「僕はわがままです」と言っているだけにすぎないとも思った。別に人から「無能だ」とか「わがままだ」とか思われることは構わないのだけど、自分自身でそうはなりたくないと思っているので、できるだけ配属先変更せずに何とかやっていこうとしていた。でも、このままだと後悔の2年間になると思い、色々と考えた末に配属先変更することにした。

このような経緯がありました。そして「やはり配属先変更を希望します」とJICA事務所に伝えて、今にいたります。配属先は本当に僕がいなくなるので(JICAとの協力関係がなくなるので?)最初はああだこうだ言ってもめそうな感じになったけど、今日はすんなりと書面でサインしました。最後にゴタゴタともめなくてよかったです。

そしておそらく、今日がこの場所を訪れる最後の日になると思います。配属先のメンバーとも永遠の別れ。なんだかんだあったけど、右も左も分からないカメルーンで僕を最初に受け入れてくれた人たち。すごく感謝もしている。でも、非人情的かもしれないが、全然さみしくなかった。かと言って「よっしゃ、もうおさらばじゃ、このくそったれ」という気分でもない。物事があまりに早く決まりすぎて、まだ頭の中で整理できておらず、そのために「今日が最後」という実感が全くなかったのだろう。いつものように、「またね」と言って彼らの活動地をあとにしました。
posted by まっつん at 21:00| Comment(0) | 協力隊 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。